酒呑み百姓の会BLOG(移転候補地)

信州小諸で酒米「亀の尾」を作り、純米吟醸生酒「あさまおろし」を醸している集団「酒呑み百姓の会」のブログです。

風の人、土の人

その昔、私は長野から小諸へ転居し、小諸市民となった。しかし、暫くの間は長野市まで通学していた。朝6時に自宅を出て、帰宅は夜8時過ぎ。

小諸には友達もいないから、休日も長野へ。小諸の事なんてまるで知らなかったし、関心も無かった。

そんな私が、地元最大の第三次産業である、今の職業に就いた。

しかし、それは小諸を知らない人間が、小諸の営業マンになったようなものである。

私は「小諸ツウ(通)になろう」と思った。それが、この職業に携わる人の理想であり究極の姿だと思っていた。今、考えてみると、それは「通」よりは「土の人」に近いニュアンスだった。

初めての街。知る顔もいない。車の助手席に乗せられ進む道は迷路のよう。

同期全員地元出身。だから職場でも、自分の位置づけが明確にならず、不安な日々だった。

で、私は居場所を確保するべく、パソコンという「道具」と、それを使える自分をセットでアピールした。その計画は、ツボにはまり、重宝に使われるようになった。

しかし、私は、よその街からやって来た「パソコン通」・・・・・小諸にとって「風の人」だった。

このままでは、「よそ者」が抜けない。「小諸をもっと深く知りたい、知らなくては!」

そうだ、市内を走り回ろう。そう決めて、仕事が終わると、職場の周辺にある施設などを自転車でまわった。

しばらくして、車の免許を取得してからは、仕事で関わった場所を地図に書き込み、実際に行き、その場所について大先輩方の話を聴くということを繰り返した。

人との繋がりは、職場から外(まち)に向かった。これは、先輩のおかげ。彼に連れ出して貰わなかったら、今頃「引きこもり系PCオタク」だった可能性は否定できない。

ミュージカルを呼んだ。神輿を作った。米を作り酒も仕込んだ。手打ち蕎麦もかなり自信あり。

パソコンを斡旋した人は50人以上、修理や相談を受けた人も入れれば100人を超える人と関わることが出来た。

小諸を訪れる人との接点が増え、小諸繋がりで市外の人との交流和が広がった。

最近、大切な友人から「私は『風の人』だけど、キミ(私のこと)は『土の人』だね。」という言葉をもらった。

風は種子(タネ)を運び、大地(土)が育む。

小諸に暮らして16年。長かったような、短かったような。